社長日誌

DIARY

帰国

昨日は、上海近郊で取引先を2軒まわり、夕方17:15分の便で帰国しました。
帰宅すると23:30でした。
上海で午後まで仕事をして、その日の内に帰宅できるのですから便利になったものです。
 ↓今回の出張で読んだ本

新幹線

昨日は、杭州へ移動するため、中国の新幹線に初めて乗りました。
上海虹橋空港駅に行くと、新幹線のホームが30番線くらいまであり、圧巻です。
杭州までは以前、車で2時間半くらいかかっていたような気がしますし、杭州から上海は夕方、渋滞にあうと何時間かかるか時間が読めない程でしたが、なんと直行便で45分、何カ所か停車する便でも1時間の早さです。
しかし、どんどん便利になるに従って、日本でいるのか、中国でいるのか分からなくなってきます。
どこもが同じになってくるのが良いのか悪いのかよく分かりませんね。(^^)

丸山

 昨日は次の取引先まで、車で3時間かけて移動し仕事をしました。
 仕事を終えると、更に宿泊先の上海までは車で2時間です。
 夕食は居酒屋風の和食料理屋の「丸山」へ行きました。
 最近は原発事故による放射能問題で、香港の和食料理店が危機的状況だという記事を読んでいたので、こちらは大丈夫なのだろうかと心配をしておりましたが、8時頃には広い店内もいっぱいになっていたようで一安心です。
 しかし、日本料理の店によっては、店内に「日本からの食材は使用しておりません」というような張り紙をしているところもあるようで、悲しい限りです。
 一日も早く正常に戻ってほしいものです。

ハードスケジュール

 昨日は4:30に自宅を出発して、関空から上海へ
 ほぼ定刻に到着し、車で目的地へ
 昼食は、関空のローソンで買ったおにぎりを車中で
 車で高速道路を走ること4時間半
 工場で4時~8時まで仕事
 8時半頃から食事、初めての取引先なので、いつものように乾杯が始まる。
 今回は北寄りなので、白酒での乾杯(42度以上)
 工場の総経理とは仲良くなるが、へろへろになる。
 食後にマッサージへ行ってホテルに帰ると1:00
 そこから仕事を始めたので、現在は2:20
 本日は6:00に起床、7:00出発
 次の目的地へ向かうが、高速道路をぶっとばして3時間ということです。(^^)

裏技

 本日から中国出張ですが、自宅を4:30に出発です。
 関西国際空港の駐車場は非常に高いイメージがありますが、実は23時から7時までに入庫すると何日 泊めても1,000円/日なんです。
 今回は3泊4日の出張ですので、正規料金は10,000円ですが、4,000円ですんでしまいますので、朝の便に乗るときは、ちょっと早めに出て7時までの入庫を目指します。
 しかし、時差の関係もありますので、3:30に起床して、中国で12:00近くの就寝になると、21時間くらい起きている計算になりちょっと辛いものもあります。
 経費節減も大変です。(^^)

明日から中国出張

 明日から中国へ出張です。
 経営指針書の作成も大詰めを迎えておりますので、私が中国へ行くまでと思い、担当者は連日、原稿を依頼に来たり、印刷許可をもらいに来たりと大変でした。
 しかし、とうとう本日は最終日で、明日からは不在ですが、どうも予定まで進んでないようで、中国でも確認できるように、できているところまでの見本を持って行くようにと渡されました。
 私も中国で昼間は商談して、夜は指針書のチェックというのも大変ですが、時間もないので頑張っていかなければなりませんね。(^^)

再開

 本日は取引先と20:30頃まで商談が長引きましたので、甲羅へ食事に行きました。
 甲羅は中小企業家同友会でご一緒している村田さんが経営されているお店で、村田さんは他にも、焼き肉屋さんの「じゅうじゅうカルビ」、ステーキレストラン(?)の「トマト&オニオン」、激辛居酒屋(?)の「赤から」を経営されております。

 取引先とご飯を食べていると、食事を持ってきてくれたお嬢さんを見ると、見覚えがある顔です。
 じろじろ顔を見ているとお久しぶりですと、「お久しぶりです」と挨拶してくれました。
 実は彼女は4年前の新卒で、村田さんの会社に就職し、「赤から」で元気に勤めていたのです、いつの間にか見かけないようになり、辞めてしまったのかなと残念に思っておりました。
 しかし、話を聞いてみると、赤からの後にじゅうじゅうカルビへ転勤となり、今はまた、甲羅へ転勤となったとのことです。
 他社の新卒社員ですが、辞めたと思っていた社員が、頑張って働いているのを見て、本当に嬉しく思いました。
 自社の社員は当たり前ですが、一緒に新入社員研修をしたりもしますので、同友会仲間の新卒社員も本当に可愛いものです。
 ちょっと甲羅へ行く回数が増えてしまいそうですね。(^^)

マンガ

 先日、新入社員研修で年間マンガを200冊くらい読んでいると豪語してしまいました。
 しかし、実際に数えないで豪語するのもいけませんので、1月から読んだマンガを数えてみました。
 結果は4月10日現在で47冊でした。
 このペースでいくと、どうも160冊~170冊どまりのペースなので、案外、数えてみると年間200冊というハードルは高いのがよくわかりました。
 嘘つきにならないためには、もう少しペースをあげなければいけませんが、読書の量にも影響が出ますので、微妙なところです。
 しかし、言ったことは守るのが経営者ですので、頑張らなければいけませんね。(^^)
↓最近、見つけた個性的なマンガ

はるかのひまわり

 本日、友人の庄野さんから「はるかのひまわり」の種をいただきました。
 はるかのひまわりとは、

         以下転載

兵庫県神戸市東灘区に住む、加藤いつかさんと4歳年下の妹・はるかさんは仲の良い元気一杯の姉妹でした。いつかさんは、中学のハンドボール部でゴールキーパーとして全国大会に出場するほどの スポーツ少女。はるかちゃんは動物が大好きで、隣の家のオウムまでかわいがり、笑顔のたえない活発でオテンバな女の子でした。

平成7年1月17日の明け方、5時46分、大きな地震が襲いました 木造の建物は、その揺れでひとたまりもなく崩れてしまい、2階に寝ていた、いつかさんはなんとか自力で脱出したものの、2階部分が崩れ落ち、1階は完全に押しつぶされていました。

「はるかは?どこや?はるかがいない」はるかちゃんがガレキの下から発見されたのは、地震発生から7時間後。近くの高校に設けられた遺体安置所にいった姉 のいつかさんは、内出血で腫れ上がった遺体の顔を一目見て思いました。(こんなん、はるかやない。はるかと違う)妹の死をやっと納得できたのは、震災の混 乱の中で形ばかりのお葬式が終わり、納骨を済ませたときでした。(はるかはもういないんやなぁ・・・)

震災から半年後、かつて加藤さんの家があった空き地、はるかちゃんの遺体を発見した場所。驚いたことに、そこに無数のひまわりの花が、力強く、太陽に向っ て咲いていました。お母さんの満子さんはひまわりを見て、「娘がひまわりとなって帰ってきた」と涙しました。近所の人たちは、この花をこう呼びました。

『はるかのひまわり』

何も無くなってしまった町の空に、次々に咲いた大輪の花はたくさんの人を励まし勇気付けました。いつかさんは今、病院の事務の仕事をしながら、全国の小学 生や中学生たちに、地震の体験を伝え歩いています。

 このヒマワリが、現在では各地で個人の有志に栽培されると同時に、毎年「NPO法人1.17希望の灯」によりはるかのひまわりが守り育てられています。
 今年は私もこのひまわりを綺麗に咲かせたいと思っております。

委員会活動

 いよいよ経営方針発表会が近づいてきましたので、そこで全社員と共有する経営指針書(タカハシ・パートナー・ブック)の作成も佳境に入っており、普段は在宅で働いている湯浅さんも連日、出勤の上、残業してくれております。(通常は15:00までですが、普通の社員と同じ時間まで)
 今年の目玉は昨年から取り組んでいる社内委員会活動の本格化です。
 委員会活動は社員が主体的に会社運営に関わっていくための仕組みですが、昨年1年で試験運用して上手くいったので、今年から本格的に4つの委員会をつくって活動していくことにしました。
 毎年、新しいことに挑戦して、軌道に乗せていくのは大変ですが、会社を良くしていくためなので、頑張っていきたいと思います。(^^)