社長日誌
目いぼ
先日、初めて知ったのですが「目いぼ」(正式名称:麦粒腫)という名称が他県の方に通じない方言だということが分かったのはショックでした。
関東では「ものもらい」、大阪では「めばちこ」と呼んでいるようですが、統一した共通語というのはどうやら無いようです。
しかし、昨日、ロマンス小杉の方々と食事に行って話をしていると京都では徳島と同じように「目いぼ」と呼ぶということが判明しました。
やはり、徳島は昔から京都との関係が深く、行き来も盛んにあったと聞いていますが、こういうところにも名残があるんだなと思いますね。(*^_^*)
四国銀行懇話会
昨日は夢の教室が終了後、四国銀行懇話会に参加しました。
大勢の方が参加する中、食事のテーブルが山元文明頭取の隣になってしまい非常に緊張しました。
山元頭取は高知県の出身ですが、お父様は徳島出身ということで、ご自身も徳島と高知の県境で育ったそうです。
非常に感じのいい方で、偉ぶったところもないので、リラックスしてお話が聞けました。
四国銀行はメインバンクですが、こんな時でもないと頭取にお目にかかる機会もないので、参加して良かったと思います。
来年は四国銀行さんの徳島本店ができて100周年とのことですが、こういった機会を増やして、更に地域から愛される金融機関になっていただきたいですね。(*^_^*)
夢の教室2016in高原小学校
川上直子さん
昨年も実施した夢の教室を今年は明日、実施しますので、元日本女子サッカー代表でアテネオリンピックやワールドカップにも出場した川上直子さんが前泊でお越しになりました。
川上さんのことはあらかじめ知っておりましたが、実際にお目にかかると、予想よりもはるかに華奢で小さい感じがするのに驚きました。
選手時代はハワイさんのニックネームで親しまれ、サイドバックでフォールドを駆け回るスタミナからすると、どうしてもがっしりして大きなイメージになってしまいます。
お話ししても有名人だからといった嫌みは全くなく、本当に感じのいい方で明日の授業も楽しみです。
今回も良い夢の教室にきっとなりますね。(*^_^*)
蟄居一日
本日、帰宅するとノア(黒猫♀)が蟄居しているはずの部屋にいませんでした。
家内に聞くと、寒そうなので、自分の部屋に連れて行って一緒に寝ていたということです。
どうやら自分が病気で寝ているのが寂しいから連れて行ったのかなと思わないではないのですが、蟄居は飼い主側の都合で24時間も続かなかったようです。
まあ、そもそもノアには蟄居の意味もわかっていないので、これで「うんこたれ」がなおるわけではないんでしょうがね。(^^;)
堪忍袋の緒が切れた
本日、家内からLINEでノア(黒猫♀)が長男の布団の上でう○ことおしっこをダブルでやっていたという怒りのメッセージが来ておりました。
先日の金曜日に私の部屋で特大のう○こをして叱って以来、二日間トイレにう○こがないからヤバイという話になっていましたので、やっぱりかという感じです。
帰宅すると台所に置かれていた水とエサがノアの部屋(8畳の部屋に元々トイレとキャットタワーが置かれている)に置かれており、反省のためにしばらく蟄居を申しつけられたようです。
ノアをかばうと家内の怒りに油を注ぎそうなので、一日も早くノアの蟄居がとけるようお祈りするのみです。(^^;)
ねこのばば
畠中恵さんの著書で「ねこのばば」という本がありますが、本日の日記はこの本に関係なく、先日も書いたノア(黒猫♀)のう○この話です。
あれから後も私の部屋にこんもりとう○こをし、フェイスブックで友人たちに相談しましたところ、病気かもしれないとアドバイスをもらったり、これに関連するホームページを紹介していただいたりお世話になりました。
とりあえず病院には連れて行きましたが、どうも病気ではなさそうです。
結局は最近、家内の体調が悪いので、あまり構ってやれないのが原因かなと思います。
しかし、家内の体調がよくなるまで、あちらこちらにう○こをされるのも困るので、私と次男でもう少し構ってやらなければなりませんね。(^^;)
↓叱られて、しょんぼり寝ているノア
実習振り返り
本年、徳島県立みなと高等学園から受け入れている生徒さんの2回目の実習が昨日まででしたので、総括のための打ち合わせを本人と担当の先生、当社は私と総務の実習担当者、現場の担当課長の5人で行いました。
今回も一生懸命に実習に取り組んでくれ、現場での評判もよく、お互いに良い実習となりました。
本人も仕事を気に入ってくれているし、仕事も向いているようなので、再来年に卒業したら当社に就職してくれれば良いなと思います。
今回の出会いも板野支援高校の先生のご紹介をはじめ、色々な方のお陰でご縁をいただいております。
多くの方に支えていただいて当社は本当に恵まれていますね。(*^_^*)
雅楽
50周年誌
当社は来年、50周年を迎えるため、これまでの資料をできるだけまとめて残そうと、50周年誌の作成に取り組んでおります。
当社の歴史について、前半部は私の母の専務にインタビューが終わっているため、本日は私が後半部分についてのインタビューを受けました。
思えば、私が入社したのは平成4年ですので、入社して24年、会社の歴史の半分を見てきているのだと感慨も深いです。
話し始めると、あれやこれやと出てきて、書記を変えながら4時間ほど話をしましたが、まだ足りませんので、後日にまた時間をとることとなりました。
今から50周年誌ができるのが楽しみですね。(*^_^*)




