社長日誌

DIARY

無宿人別帳

 タイトルは松本清張氏の時代小説短編集です。
 私は松本清張=推理小説というイメージがあり、松本清張が時代小説を書いているのは知りませんでしたが、「親不孝長屋」という時代小説の傑作選で松本氏の「左の腕」という作品を読み、その出典である今回の「無宿人別帳」に行き当たりました。
 こういう書き方をすると失礼ですが、時代考証もしっかりしており良いできなので、調べてみると、私が知らないだけで松本氏は歴史小説や時代小説を少なからず書いていることが判りました。
 やはり、思いこみは恥をかきますね。

バンザイクリフ

 最終日の本日はいよいよサイパン島の北部をまわりました。
 図らずも博物館→南部→北部という順番は時系列的に学ぶことができて非常に良い順番でした。
 最初に訪れたのはプンタン・サバネタ、通称バンザイクリフです。
 サイパン戦はアメリカ軍がサイパン島南部から上陸して攻めたため日本軍はもちろんのこと、多くの民間人も北部に追いつめられました。
 1944年7月7日日本軍が玉砕突撃した翌日に1,000人以上の民間人(主に婦女子、子供、老人)がこのバンザイクリフから身を投げました。
 通称バンザイクリフということになっていますが、ガイドさんによると身投げするときの言葉のほんどは「お母さん」といったもので、多くの人が岸壁にあたり崖の下は一面血で染まったということです。
 多くの慰霊碑が岸壁に並び、一つ一つに多くの思いが込められているのが伝わってきました。
 このような歴史がなければ本当に素晴らしい景色に心を打たれるような場所ですが、同じ日本人として歴史を知った上でこの景色を見ると本当に涙が止まりませんでした。
 続いてラストコマンドポスト(バナデロ)、スーサイド・クリフ(ラデラン・バナデロ)とまわりました。
 今回のガイドは日系三世のツダさんが案内してくれました。
 ツダさんは非常にサイパンの歴史に詳しい方で、サイパンと日本の関係、戦争の悲惨さや虚しさを多く学びました。
 また、我々の責任として、自ら歴史を学び、その歴史を後世に伝えることの重要性を痛感した旅でした。

タポチョ山

 本日は主にサイパン島南部の戦史をまわりました。
 日本兵が隠れた洞窟、今は寂れて草むしている八幡神社、最後には標高473㍍とサイパン島では一番高い山であるタポチョ山に登りました。
 このタポチョ山は標高が高く頂上では360度全てのサイパン島の景観が見渡せる故に、激戦地の一つとなったようです。
 これも知らなかったことですが、アメリカ軍も太平洋戦争中、サイパンで最大の死傷者を出していたようで、特にこのタポチョ山攻略には多くの犠牲者を出したようです。
 サイパンの全てを見渡せる絶景とこの山頂まで山砲や重機を人力で持ち上げた写真等を見比べながら非常に複雑な思いになりました。

またまたサイパン

 昨日よりサイパンに来ております。
 8月にも来たので余程サイパンが好きなのかと思われるかも知れませんが、たまたま毎年、秋に中小企業家同友会の有志で行っている旅行が、今年はサイパンに慰霊の旅に行きたいという案があり重なってしまいました。
 昨日、サイパンに入ったのは夕方でしたので、本日から活動開始ですが、本日は主に第二次世界大戦前のサイパンを知るために「北マリアナ博物館」に行きました。
 この博物館はかつて日本が作った病院の後が博物館に改装されているもので、そんなに大きな施設ではありません。
 しかし、戦前サイパンでの日本人の生活や砂糖王松江春次氏についての資料が豊富に揃っていました。
 また、ビデオもたくさん取りそろえており、このビデオで非常に近い島であるにもかかわらず、戦前サイパンは日本の信託委任領でグアムはアメリカが統治していたことやサイパンには沖縄県民を初めとする非常に多くの日本人が在住していたこと等々沢山のことを知りました。
 博物館の後は砂糖王公園に行き、炎天下の中、くらくらしながら松江春次氏の銅像を見学しました。
 今回、初めて知ったことですが、松江春次氏は映画「バルトの楽園」で有名な坂東俘虜収容所所長 松江豊寿氏の弟であるのには、不思議な縁を感じてしまいました。

ジャックポット

 先日の運動会の日は、家内の誕生日でもありました。
 誕生日にはフジグランのゲームセンターでゲームコインが100枚無料で貰えるということなので、家族全員でゲームセンターへ行きました。
 私は次男と前回預けてあるコインが350枚ほどありましたので、次男と一緒に以前にも書いた「プッシャーメダルゲーム」をしましたところ、なんと、初めてジャックポットが入り、500枚以上のコインがいっきになだれ込んできました。
 時間がなく途中で止めざるをえませんでしたが、今回の預け入れ数は600枚を超える大漁です。
 しかし、家内にコイン100枚全部貰った長男は短時間で全て使い切ってしまい今回もオケラです。
 長男にはどうも博才(ばくさい:博打の才能)は無さそうです。(^^)

手帳

 本日、仕事が終わってから北島の附屋書店に行きました。
 本を買っていると手帳が飾ってありましたので、もうそんな季節かと思いながら手帳を買いました。
 手帳はいつも高橋書店のニューダイアリーミニ1の黒に決めており16年間使い続けたのですが、今年初めてB6番の高橋書店フェルテ8にしました。
 別に老眼になったわけではないのですが、なんとなく大きいのが使いたくなったのです。
 16年間使い続けたのを変えるのは、大きな決断がいるかとも思いましたが、なんとなくで変えられるものなのですね。

食欲の秋

昨日、運動会の後久しぶりに「みよしの」に行きました。
 「みよしの」は安心食材や地産地消にこだわったバイキングレストランで、私や家内のお気に入り店の一つです。
 みよしのでは現在、中華フェアをやってるとのことですが、黒酢を使用した酢豚が非常に美味しく食べ過ぎてしまいました。
 また、定番で季節毎に変わる炊き込みご飯は栗と銀杏なので、これも大好物で余分にたべてしまいました。
 せっかく午前中は自転車をこいで運動したのに、結局は食べ過ぎてプラスの方が多くなってしまいました。
 食欲の秋とはいいますが、やはり美味しいバイキングレストランは危険です。

運動会

 本日は次男の運動会ということで、久々に運動会を見に行きました。
 運動会を子供の運動会を見に行くのは多分2度目か3度目であまり多いことではありません。
 仕事が忙しいのに甘えて、父親の義務を果たしていないということで、最近は家族の中でも評判が悪いようです。
 今日はその風評を良い方に変えるべく、次男のダルマを運ぶ競争、遊戯、徒競走と全て家内と一緒に応援しました。
 しかし、私もこれで他のお父さん並みだろうと思っておりましたが、他のお父さん達は席取り、荷物運び、ビデオ撮影、競技参加と私など足下にも及ばないほど熱心です。
 最初から諦めるのはいけませんが、とても真似できませんね。(^^;)

追憶 西川五郎

 「追憶 西川五郎」という本を読みました。
 インターネットで偶然行き当たったのですが、自費出版された本を貸し出しするNPOがあり、その1冊として貸し出されておりました。
 西川五郎氏は当社が取引している西川産業の元社長で「昭和最後の大旦那」と呼ばれる大物だったそうです。
 この本は西川五郎氏がお亡くなりになった後にお嬢さん達が追悼のために編纂した者ですが、生前西川五郎氏と交友のあった各百貨店の社長や王監督、森英恵氏を初めとする多方面にわたる方々が寄稿されております。
 あらためて氏の偉大さが伝わってきます。

だし巻き玉子

 以前、ロマンス小杉の方々の好みから来る二つ名を紹介しましたが、本日新たに整体師の平田先生の二つ名が判明しました。
 「だし巻きの平田」です。
 平田先生はだし巻き玉子にはうるさいらしく、メニューにだし巻き玉子がないと怒るし、それが不味いともっとうるさいということです。
 本日はロマンス小杉の皆さんと秋田町の「からく」へ行きました。
 この店は和食ですが、創作料理なのでだし巻き玉子が出てくるか心配しておりました。
 しかし、だし巻き玉子は出てきませんでしたが、うなぎを中に入れた和風オムレツが出てきて、これにご満足いただいたようなので安心しました。
 実際のところ、平田先生をご存知の方は判ると思ういますが、平田先生は普段温厚な方です。
 しかし、体は大きく、普段が温厚な方ですので、あの平田先生が怒って暴れ出すとどうなるのだろうと心配でしょうがありませんでした。
 「からく」の大将にはとりあえず感謝です。(^_^)