社長日誌

DIARY

あら川

 本日はロマンス小杉の大阪店店長になった武本氏がおいでになっていたので、徳島市富田町の「あら川」に行きました。
 「あら川」のマスターは元々近くのアクティ5の1階で男の料理「おおさき」という店を経営していたました。
 私もたまに通っていたのですが、マスターがご病気をされて店を閉めたということを聞いて心配をしておりました。
 しかし、しばらくして快癒されたのか現在の店を始めたという噂が聞こえてきて、私も喜んでまた、たまに通っております。
 以前は男の料理という看板もあってか豪快な趣の料理もあったのですが、あら川では料理自体は繊細な趣に変わっております。
 席も以前はカウンターが主でしたが、今回は個室主体です。
 年末にかけて取引先の訪問が多くなると、今年も何度か訪れることがあると思いますが、楽しみです。

巣立ち

 昨日は平成19年入社新入社員の18ヶ月研修でした。
 みんな久しぶりに会える同期の仲間と1日楽しく研修を受けておりました。
 当社ではこの18ヶ月研修をもって、同期での研修は終了し、今後は階層別の研修となります。
 この代に入社した社員とも色々な思い出があり一人一人に思い入れがあります。
 しかし、今日で本当の意味での巣立ちになりますので、みんな頑張って今後も成長して欲しいものです。

NHK

 昨日、NHKの取材を受けました。
 TVの取材は非常に手間がかかるわりに一瞬で終わってしまうので、いつも制作する人も大変だなあと思います。
 今回も1時間半程かけて18:10からの放送で使用されたのは1分くらいです。
 私が話した内容は円高差益を先取りして、インターネットで販売している枕を2割下げて販売する。羽毛布団等はメーカーも原料在庫があるので値段が下がるのは半年くらい先だろうという話でした。
 しかし、この話が実際の放送では縮められて、羽毛布団の説明のすぐ後に円高差益還元で2割ほど安く販売しているという解説になっておりました。
 これでは今すぐ羽毛布団が安くなっているのかと誤解を招くような表現になっており、とまどってしまいました。

西川八一行社長

 本日は西川産業社長の西川八一行氏が来社されました。
 西川産業の社長が当社を訪問されたのは、初めてのことで西川社長自体も四国の取引先小売店を訪問するのは初めてだということです。
 予定では1時間くらいということでしたが、予定を大幅に超えて話し込んでしまいました。
 西川社長とは早稲田大学の先輩後輩で、同年代ですしので今後も親交を深めていきたいものです。

 余談ですが、西川社長のご尊父は東大安田講堂事件や浅間山荘事件で陣頭指揮をとり、初代内閣安全保証室長を務められた佐々淳行氏で系譜は戦国武将の佐々成政に繋がる名門です。

N902i

 私の携帯電話はN902iです。
 家内に言わせると時代は907らしく、そんな古い携帯電話を使っている人は誰もいないということです。
 そういえば先日、サイパンに行った時も他の皆さんは海外にもかかわらず日本から電話がかかってきたり、お互い電話をしたりしておりました。
 私は居所不明になったり、約束の時間に遅れたりすることはないので不便はなかったのですが、最近の携帯電話の進歩はすごいものだと思います。
 しかし、国内で今の携帯電話を使用する上で不満があるわけでもないので、しばらくは買い換えるつもりはないのですが、私と同じくらい前の携帯電話を使っているのは私だけではありませんよね。(^^;)

不当表示

 先日、インターネットを見ていると明らかにホワイトダックダウン85%の羽毛を使用している羽毛布団をホワイトダックダウン90%で販売している小売業者がおりました。
 供給している問屋を知っておりましたので、お客様を騙すような商売は止めた方が良いとアドバイスしましたが、聞き入れるつもりはないようです。
 羽毛は天然素材ですので、品質にばらつきがでるため許容範囲が定められており、この許容範囲が日本工業規格と日羽協で基準が異なることを悪用しているのです。
 しかし、消費者はダウン90%と表示されている商品が他社でダウン85%と表示されている商品と同じであれば納得できないと思いますが、これを理解できない供給者があるのが不思議でなりません。
 その内、天罰が下ると思いますが、早く天罰が下って欲しいものです。(-_-)

無宿人別帳

 タイトルは松本清張氏の時代小説短編集です。
 私は松本清張=推理小説というイメージがあり、松本清張が時代小説を書いているのは知りませんでしたが、「親不孝長屋」という時代小説の傑作選で松本氏の「左の腕」という作品を読み、その出典である今回の「無宿人別帳」に行き当たりました。
 こういう書き方をすると失礼ですが、時代考証もしっかりしており良いできなので、調べてみると、私が知らないだけで松本氏は歴史小説や時代小説を少なからず書いていることが判りました。
 やはり、思いこみは恥をかきますね。

バンザイクリフ

 最終日の本日はいよいよサイパン島の北部をまわりました。
 図らずも博物館→南部→北部という順番は時系列的に学ぶことができて非常に良い順番でした。
 最初に訪れたのはプンタン・サバネタ、通称バンザイクリフです。
 サイパン戦はアメリカ軍がサイパン島南部から上陸して攻めたため日本軍はもちろんのこと、多くの民間人も北部に追いつめられました。
 1944年7月7日日本軍が玉砕突撃した翌日に1,000人以上の民間人(主に婦女子、子供、老人)がこのバンザイクリフから身を投げました。
 通称バンザイクリフということになっていますが、ガイドさんによると身投げするときの言葉のほんどは「お母さん」といったもので、多くの人が岸壁にあたり崖の下は一面血で染まったということです。
 多くの慰霊碑が岸壁に並び、一つ一つに多くの思いが込められているのが伝わってきました。
 このような歴史がなければ本当に素晴らしい景色に心を打たれるような場所ですが、同じ日本人として歴史を知った上でこの景色を見ると本当に涙が止まりませんでした。
 続いてラストコマンドポスト(バナデロ)、スーサイド・クリフ(ラデラン・バナデロ)とまわりました。
 今回のガイドは日系三世のツダさんが案内してくれました。
 ツダさんは非常にサイパンの歴史に詳しい方で、サイパンと日本の関係、戦争の悲惨さや虚しさを多く学びました。
 また、我々の責任として、自ら歴史を学び、その歴史を後世に伝えることの重要性を痛感した旅でした。

タポチョ山

 本日は主にサイパン島南部の戦史をまわりました。
 日本兵が隠れた洞窟、今は寂れて草むしている八幡神社、最後には標高473㍍とサイパン島では一番高い山であるタポチョ山に登りました。
 このタポチョ山は標高が高く頂上では360度全てのサイパン島の景観が見渡せる故に、激戦地の一つとなったようです。
 これも知らなかったことですが、アメリカ軍も太平洋戦争中、サイパンで最大の死傷者を出していたようで、特にこのタポチョ山攻略には多くの犠牲者を出したようです。
 サイパンの全てを見渡せる絶景とこの山頂まで山砲や重機を人力で持ち上げた写真等を見比べながら非常に複雑な思いになりました。

またまたサイパン

 昨日よりサイパンに来ております。
 8月にも来たので余程サイパンが好きなのかと思われるかも知れませんが、たまたま毎年、秋に中小企業家同友会の有志で行っている旅行が、今年はサイパンに慰霊の旅に行きたいという案があり重なってしまいました。
 昨日、サイパンに入ったのは夕方でしたので、本日から活動開始ですが、本日は主に第二次世界大戦前のサイパンを知るために「北マリアナ博物館」に行きました。
 この博物館はかつて日本が作った病院の後が博物館に改装されているもので、そんなに大きな施設ではありません。
 しかし、戦前サイパンでの日本人の生活や砂糖王松江春次氏についての資料が豊富に揃っていました。
 また、ビデオもたくさん取りそろえており、このビデオで非常に近い島であるにもかかわらず、戦前サイパンは日本の信託委任領でグアムはアメリカが統治していたことやサイパンには沖縄県民を初めとする非常に多くの日本人が在住していたこと等々沢山のことを知りました。
 博物館の後は砂糖王公園に行き、炎天下の中、くらくらしながら松江春次氏の銅像を見学しました。
 今回、初めて知ったことですが、松江春次氏は映画「バルトの楽園」で有名な坂東俘虜収容所所長 松江豊寿氏の弟であるのには、不思議な縁を感じてしまいました。